Webサイト『*Flappig Wings*』の編集記録を中心に・・・
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目を疑う。
心なしか紅く見える、最寄り駅の壁。
きっと気のせい。思い込み。
自分に言い聞かせてみたけれど、ほんのわずかに紅い霞(かすみ)がかかって見える。
目がやられたらお終いだ。絵なんて描けっこない。
空が蒼く見えて、海が碧く見えて、夕焼け空は緋が入って見える。
気のせいかもしれない。以前、疑った事がある。
遠くに見える山は、木々がたとえ緑色でも、碧く見えるんだ。
日中の太陽は赤でもなければ、黄でもない。
思い込みが働いているから、そう見えた気がするんだ。
幼稚園児の絵がいい例じゃないか。
気のせいだと自分に言い聞かせて、今朝は地下鉄に乗りました。
「死ぬ」って何。「生きる」って何。「産まれる」って何。
何と何が対義語だ。「生」と「死」はきっと対義語じゃない。
生きていないのは、死んでいる事にはならないから。
・・・。
思考が暗転、きっと、恐れていた事だった。
身近に「死」が転がると、時々陥るんだ。
そして、結論はいつだって同じ。
もう慣れている。慣れてしまっている。
だから、今日の帰り道に結論まで辿り着いた。
道は知ってるんだ。何度も辿り着いてるんだ。
自分は、あの時、死ななかった。だから今も生きている。
きっと見過ごしているだけで、「あの時」は何度も訪れているんだろう。
けれども自分は生きている。それだけだ。
いちいち、周囲に戸惑うな。思考を止めるな。歩みを止めるな。
前に進め。進めなくなった人の分まで背負い込まなくても良いから、前に進め。
道しるべはある。
青い鳥が拾ってしまう心配もない。目の前にある。
課題という名の欠片のパンは、今、拾わなければ、評価されない。
自分の身を於いている場所はそういうところだ。
時として、拾う事自体が重要視されるけれども、実際はその行き着く先に目的があるはずだ。
行き着く先は「帰り着く場所」か「お菓子の家」かは知らないけれど、とりあえず進むべきだ。とりあえず拾うべきだ。
「後ろを向いていたって前には進める。」深山木秋が言っていた。
歩みを止めれば、前には進まない。
分かっているのなら、進むべきだ。
変容を繰り返し、人は成長する。カウンセラーの先生は言っていた――もとい、これでは、私が直接カウンセリングを受けたみたいに聞こえる――カウンセリングを現職でしている非常勤講師は講義で言っていた。
「病気とはある意味、変容であり。それを克服してこそ前に進む。」
闇は契機だ。病みは契機だ。
悩みがすべて実となるとは限らないけれど、悩まないよりはずっといい。
みすみす、前進を止める事になる。
無論、前進だけではどうしようもない事もある。
それは、遠く見える山が美しく、その地を求め進むが、辿り着いたその地は、荒れ山で、ふと見下ろした自分の住む集落が美しく見え、結局もとの生活に戻るという話がいい例だ。
結局は後戻り。
でも、行動していなければ、自分のいる地の素晴らしさにも気付かず、桃源郷を夢見るだけになるだろう。
後退できるのは、前に進んだからだ。
・・・
もはやエンドレス。
主不在の私は、周囲から集めてきた何かがどろりと容易に流れ込む。
きっと今なら、英語も犬語も、雲語だって話せるようになるだろう。
今日の文章、まず間違いなく電車の中で読んでいた小説に影響を受けているのだろう。
全く持って打たれ弱い。
未だに精神のブレーカーが落ちたきり、復旧していない。
ただ一つ分かってるのは、レポートを書かねばならないということ。
その一点である。
ミニ家計簿(伏字)
◆購入場所◆セブン-イレブン
まるごとソーセージ ¥121
リプトン ミルクティー ¥105
合計 ¥226
あれ・・・『まるごとソーセージ』値上げしたんだ。
独りになるとこんな感じです。
周囲に誰かがいるといつも通りに振舞えている、と思う。
答えが分かっているのに、心で理解が追いついていない。
精神面の復旧に時間が掛かるかもしれませんので、しばらくこのブログではこの調子かもしれません。
心なしか紅く見える、最寄り駅の壁。
きっと気のせい。思い込み。
自分に言い聞かせてみたけれど、ほんのわずかに紅い霞(かすみ)がかかって見える。
目がやられたらお終いだ。絵なんて描けっこない。
空が蒼く見えて、海が碧く見えて、夕焼け空は緋が入って見える。
気のせいかもしれない。以前、疑った事がある。
遠くに見える山は、木々がたとえ緑色でも、碧く見えるんだ。
日中の太陽は赤でもなければ、黄でもない。
思い込みが働いているから、そう見えた気がするんだ。
幼稚園児の絵がいい例じゃないか。
気のせいだと自分に言い聞かせて、今朝は地下鉄に乗りました。
「死ぬ」って何。「生きる」って何。「産まれる」って何。
何と何が対義語だ。「生」と「死」はきっと対義語じゃない。
生きていないのは、死んでいる事にはならないから。
・・・。
思考が暗転、きっと、恐れていた事だった。
身近に「死」が転がると、時々陥るんだ。
そして、結論はいつだって同じ。
もう慣れている。慣れてしまっている。
だから、今日の帰り道に結論まで辿り着いた。
道は知ってるんだ。何度も辿り着いてるんだ。
自分は、あの時、死ななかった。だから今も生きている。
きっと見過ごしているだけで、「あの時」は何度も訪れているんだろう。
けれども自分は生きている。それだけだ。
いちいち、周囲に戸惑うな。思考を止めるな。歩みを止めるな。
前に進め。進めなくなった人の分まで背負い込まなくても良いから、前に進め。
道しるべはある。
青い鳥が拾ってしまう心配もない。目の前にある。
課題という名の欠片のパンは、今、拾わなければ、評価されない。
自分の身を於いている場所はそういうところだ。
時として、拾う事自体が重要視されるけれども、実際はその行き着く先に目的があるはずだ。
行き着く先は「帰り着く場所」か「お菓子の家」かは知らないけれど、とりあえず進むべきだ。とりあえず拾うべきだ。
「後ろを向いていたって前には進める。」深山木秋が言っていた。
歩みを止めれば、前には進まない。
分かっているのなら、進むべきだ。
変容を繰り返し、人は成長する。カウンセラーの先生は言っていた――もとい、これでは、私が直接カウンセリングを受けたみたいに聞こえる――カウンセリングを現職でしている非常勤講師は講義で言っていた。
「病気とはある意味、変容であり。それを克服してこそ前に進む。」
闇は契機だ。病みは契機だ。
悩みがすべて実となるとは限らないけれど、悩まないよりはずっといい。
みすみす、前進を止める事になる。
無論、前進だけではどうしようもない事もある。
それは、遠く見える山が美しく、その地を求め進むが、辿り着いたその地は、荒れ山で、ふと見下ろした自分の住む集落が美しく見え、結局もとの生活に戻るという話がいい例だ。
結局は後戻り。
でも、行動していなければ、自分のいる地の素晴らしさにも気付かず、桃源郷を夢見るだけになるだろう。
後退できるのは、前に進んだからだ。
・・・
もはやエンドレス。
主不在の私は、周囲から集めてきた何かがどろりと容易に流れ込む。
きっと今なら、英語も犬語も、雲語だって話せるようになるだろう。
今日の文章、まず間違いなく電車の中で読んでいた小説に影響を受けているのだろう。
全く持って打たれ弱い。
未だに精神のブレーカーが落ちたきり、復旧していない。
ただ一つ分かってるのは、レポートを書かねばならないということ。
その一点である。
ミニ家計簿(伏字)
◆購入場所◆セブン-イレブン
まるごとソーセージ ¥121
リプトン ミルクティー ¥105
合計 ¥226
あれ・・・『まるごとソーセージ』値上げしたんだ。
独りになるとこんな感じです。
周囲に誰かがいるといつも通りに振舞えている、と思う。
答えが分かっているのに、心で理解が追いついていない。
精神面の復旧に時間が掛かるかもしれませんので、しばらくこのブログではこの調子かもしれません。
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