Webサイト『*Flappig Wings*』の編集記録を中心に・・・
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前に話したっけ?
私、哲学とか心理学とか統計学とか民俗学とかが、趣味レベルで好きだって話。
いや、好きなんですよ。
なんかね。大学行くようになってから、専門以外の分野にやたらハマってしまいまして。
時々「別の学科の授業受けてぇー」病を発症させてました。
最近、絵茶のほうであるアニメを薦められまして、昨日全話見終わったのですが。
いやぁ、言われてたとおり、いろいろ考えさせられる話でした。
先週の金曜日の飲み会(学生ボランティア関連)で、年配の方(再来年に定年)がいまして、その方の恩師の話というのを聴きまして。
戦争の体験談の又聞きです。
綺麗な青空だなぁって河原を歩いてて思って、家に帰りついたら「戦争、始まった」と母に聞いた。
戦争って言うもんは、自分の国が関わっていても、唐突に、日常に何の前触れもなく始まるもんやで。
という話です。
ぼんやり思う。
つい最近の北朝鮮の砲撃騒動も、唐突だった。
そんな風にして、戦争というものは始まるんだろうか・・・。
最近、韓国での反日活動に対して、日本人の論争をWeb上で見た。
「日本が過去に韓国にした事」
過去って言われても、その過去に生きていたのは私ではない。
けれども、その過去を無かった事にすることはできない。
過去を背負うのは誰か。
責任の所在探しをしないといけないんだろうか・・・。
人が集まって国を形成している。
個々の人で話し合えば打ち解けるものも、集団になった途端、そこには「今」含まれていない人たちの過去もレッテルも背負い込むという事。
結局のところ、そういう先入観というか概念のどこかに矛盾があるような気がする訳です。
「新人類」「ゆとり世代」「最近の子供たち」
・・・ひとまとまりにしてしまえば、まるで見てきたかのように語れる話。
最近の子は塾に通って、両親共働きで、夕ご飯は一人で食べて・・・。
・・・そのどれにも該当しない私。太古の人間なのか?
「最近の子には珍しく・・・」テレビでよく聞く言い回し。
・・・あなたが観てきた「最近の子」というのは具体的に誰なのだと問いたい。
本当に、そんな大勢を平均化して「見た」のかと。
「珍しい」子が沢山いるのなら、それが今の子どもたちの断片の一部を見ているのだろうけれど、
「これは例外だから」という先入観でその枠から、外に出して物を捉えている。
その事に気付いているのかな・・・。
集団になれば、何か気持ちが大きくなったような錯覚に陥るという集団心理。
集団の中で「自分」を埋没させて、それすらも気付かない状態。
自分に理解できないという事を相手が言う場合には二通りあるらしい。
一つは相手が支離滅裂なこと(根拠や論理立てが出来てない事)を言っている場合。
もう一つは、自分の考えが間違っていて、その自己矛盾に捕われてしまった場合。
相手の話を「理解する」という事はホントに難しいものだ。という話。
最近立てつづけに、この手の話題や情報ソースが手元に流れ込んできて、
電車に乗っている時間など、考える時間がたっぷりあるので、
車窓を眺めながら本気で世界平和とか考えてしまう。
終戦記念日とかSeptember11とかそういう特別な日じゃなくても、考えてみるのって大事なんじゃないかなって、それも、自主的に考えようって思った時に。
そんな事を思って、今日は学校に行く電車の中で物思いにふけりました。
私、哲学とか心理学とか統計学とか民俗学とかが、趣味レベルで好きだって話。
いや、好きなんですよ。
なんかね。大学行くようになってから、専門以外の分野にやたらハマってしまいまして。
時々「別の学科の授業受けてぇー」病を発症させてました。
最近、絵茶のほうであるアニメを薦められまして、昨日全話見終わったのですが。
いやぁ、言われてたとおり、いろいろ考えさせられる話でした。
先週の金曜日の飲み会(学生ボランティア関連)で、年配の方(再来年に定年)がいまして、その方の恩師の話というのを聴きまして。
戦争の体験談の又聞きです。
綺麗な青空だなぁって河原を歩いてて思って、家に帰りついたら「戦争、始まった」と母に聞いた。
戦争って言うもんは、自分の国が関わっていても、唐突に、日常に何の前触れもなく始まるもんやで。
という話です。
ぼんやり思う。
つい最近の北朝鮮の砲撃騒動も、唐突だった。
そんな風にして、戦争というものは始まるんだろうか・・・。
最近、韓国での反日活動に対して、日本人の論争をWeb上で見た。
「日本が過去に韓国にした事」
過去って言われても、その過去に生きていたのは私ではない。
けれども、その過去を無かった事にすることはできない。
過去を背負うのは誰か。
責任の所在探しをしないといけないんだろうか・・・。
人が集まって国を形成している。
個々の人で話し合えば打ち解けるものも、集団になった途端、そこには「今」含まれていない人たちの過去もレッテルも背負い込むという事。
結局のところ、そういう先入観というか概念のどこかに矛盾があるような気がする訳です。
「新人類」「ゆとり世代」「最近の子供たち」
・・・ひとまとまりにしてしまえば、まるで見てきたかのように語れる話。
最近の子は塾に通って、両親共働きで、夕ご飯は一人で食べて・・・。
・・・そのどれにも該当しない私。太古の人間なのか?
「最近の子には珍しく・・・」テレビでよく聞く言い回し。
・・・あなたが観てきた「最近の子」というのは具体的に誰なのだと問いたい。
本当に、そんな大勢を平均化して「見た」のかと。
「珍しい」子が沢山いるのなら、それが今の子どもたちの断片の一部を見ているのだろうけれど、
「これは例外だから」という先入観でその枠から、外に出して物を捉えている。
その事に気付いているのかな・・・。
集団になれば、何か気持ちが大きくなったような錯覚に陥るという集団心理。
集団の中で「自分」を埋没させて、それすらも気付かない状態。
自分に理解できないという事を相手が言う場合には二通りあるらしい。
一つは相手が支離滅裂なこと(根拠や論理立てが出来てない事)を言っている場合。
もう一つは、自分の考えが間違っていて、その自己矛盾に捕われてしまった場合。
相手の話を「理解する」という事はホントに難しいものだ。という話。
最近立てつづけに、この手の話題や情報ソースが手元に流れ込んできて、
電車に乗っている時間など、考える時間がたっぷりあるので、
車窓を眺めながら本気で世界平和とか考えてしまう。
終戦記念日とかSeptember11とかそういう特別な日じゃなくても、考えてみるのって大事なんじゃないかなって、それも、自主的に考えようって思った時に。
そんな事を思って、今日は学校に行く電車の中で物思いにふけりました。
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