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Webサイト『*Flappig Wings*』の編集記録を中心に・・・
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カウンターが500になりました。

・・・499から500にしたの私です。
うっかり、ADMIN設定していないブラウザから立ち上げてしまいました。

いわゆる自爆?(爆撃!?)


でも、残り499回分は・・・あ、いや・・・合計して50回ぐらいは自分でうっかりカウンター回しちゃってるわ・・・私。

ま、500Hitになりました。
明日にでも、記念品をサイトに投下します。(やっぱり爆撃!?投下型の爆撃!?)
・・・需要も少ないであろう、私の描いた携帯待受けです。

画像はあるけど、まだ待ち受け用に加工していないので、その作業から明日は行わねばね!



サイトに載せようと思って取り込んでおいた落書きがですね・・・。
ものすっごい小物ばかりになってしまいました。
ほんとに小物。今日アップしたのより小物。

で、小休止挟みます。
授業中の落書き以外の物を適当に見繕ってみようかと思います。


それとも、授業中のメモ系の落書きにしてみようかな・・・。
落書き入りのプリントを見て、友人が「え!?こんなプリントあったけ?」とテスト前に焦ったという絵とか。(まさか、私が描いた絵だとは思わなかったらしい)
先生も黙認(ほぼ公認)してしまった落書きとか。(授業内容に則していたので、認められた)

・・・いっそ、授業ノート公開しちゃいますか!?
先生の言ったダジャレ集と化してるノート。

・・・あ、授業には先生の著作権が含まれるか・・・やめとこう。



さて、今日はサイトを始めた時から『自己紹介』として、いつか書こうと思っていたネタを書こうと思います。
今日のはちょっとばかし重い話かもしれません。

昔話シリーズ。

第・・・何弾?(2か3だと思う。『交通事故編』と・・・あと何を書いたっけ?)


私の中学時代の『いじめ』について。
笑い話として読み流していただけたらと思います。笑い話として。

強調しておきますが、『いじめ』=『笑い話』ではありませんので!


それでは、追記部分にて書かせていただきたいと思います。

私は中学の時にいじめに遭っていたらしい。
「らしい」というのは、当時の私には自覚がなかったからである。

去年の同窓会で、友人(同級生)に「いじめてごめんなぁ」と言われ、当人曰く『仲直り』の握手を求めてきたのである。

私はホントに困りました。
私の中で「ふざけている」「ちょっかいを出してくる」とみなして、さほど気にしていなかったから。
で、

「握手する」=「いじめを認める」=「私がいじめられっ子だった」
「握手しない」=「険悪な関係」

選択肢が・・・。

彼らには「え?いじめだったの?」と尋ねてみましたが、ほぼ無視。
「おまえら、これのがいじめじゃね?」とか言いながら、結局握手しました。


それから、ぼんやりと当時の事を思い出すと、

「あ~そういえば、傘折られたな」とか。
「シャーペンをゴミ箱に捨てられたな」とか。

・・・今にして思えば、どう考えてもいじめだな。という事が何回かありました。


でもなぜか、それらをされても、いじめられてると感じてない自分がいました。

鈍感?

(ここで、オチ部分終了!後は、昔を思い出して語ってるだけです!)



そりゃ、その時は嫌な気持ちになったりもしたけれど。
結局、水に流していたのかな。
それとも、忙しかったから、いちいち相手する暇がなかったのかな。


なにより、友達がいましたからね。
うん。
それが支えだったのかも。


謝ってきた友人の一人に、中学生当時
「俺、お前と変わりたい。」
と言われたことがあります。

仲間とワイワイやっている所に参加したかったらしいです。
その時、私は照れつつも「・・・ありがと」と答えましたね・・・。
ものすっごく意外な出来事だったので、色濃く覚えています。

そういうこともあって、いじめられてるとは全く分かってなかったです。


友達について

私の友達観について、先に述べておくと「仲良くしてても、あっさり別れるもの」と思ってました。当時。
というのも、小学生の低学年の時に私は一人で遊ぶことが多かったんです。
一年の時に仲良くしていた友達は、二年になるときには引っ越していましたし。
二年の時に仲良くしていた友達も、三年になるときには引っ越していましたし。
三年の時には・・・交通事故とかごたごたに友人巻き込んじゃって・・・へへへ・・・。(笑ってごまかす)

で、「あんまり仲よくしても、別れがつらいだけなんだから、仲良くしないようにしよう」となんとなく思っていました。

・・・あ、今思い出した。
小学一年の時も私いじめられてたかも・・・。
三人組のやんちゃっ子に。
一年の末に一人。二年の末に一人と引っ越して行ったんですよ。
・・・一人いなくなるごとに、ちょっとホッとしてたかも・・・。
で、三人組の最後の一人とは五年の時に仲良くなっったけど、その後すぐに引っ越しちゃいましたね。

住んでたとこ、社宅とかが多くて引っ越しが多発地域だったんです。
幼稚園からの仲の良い友達なんて、小学校卒業するまでにみんな引っ越してましたし。
結局、私も引っ越しましたし。中学卒業する時に。



小学校からの友人の話(中学時)

近所に住んでいた友人が休んだ時には、私が連絡帳やプリントを届けていました。
その友人は、たびたび学校を休みました。
「風邪」で休んだ友人は、家のインターホンを押すとよく本人が出てきました。

私「あ、連絡帳持ってきたよ・・・。もう大丈夫なの?」
友「うん。大丈夫」
私「・・・じゃっ!また明日学校でね!」

という会話をよくしました。

卒業式の後に聞いた話ですが、その友人は学校に行くのが嫌で「不登校」になりかけていたらしいです。(いじめの一歩手前だったらしい)
でも、私が「また明日学校でね!」と笑顔で言うのに励まされて、学校に頑張って来ていたそうです。(その友人の母談)

・・・ちょっとショックでしたね。
「何で相談とかしてくれなかったんだろう」って。

でも、同窓会の後に考え直してみると、私の近くにいたせいでいじめが飛び火したんじゃないだろうか・・・。
現に何人か、私と仲良くしていた友達で、不登校になってしまった人とかもいるし。



ずいぶん長々と書いてしまったので、そろそろしめないとね・・・。



私が思うに、一度「不登校」になってしまうと、復帰が相当難しいと思います。
本人が「復帰」しようとしても、周囲が「腫れ物に触る」ような接し方を思わずしてしまうから。

例を挙げると、


席替えの際に、私の隣の席に座った子の話

席替えと言っても、班長会議で班長と先生で話し合って決めるんです。
で、私は班長でした。
でも、隣の席云々はホント適当に決めてました。(名札を裏返して、適当に並べるとかしてた。)

で、隣の席に座った子とよく授業中に談笑してました。
班員といっしょに。


で、その次の班長会議で
先生  「○○さん(隣の席の子)最近しゃべるようになったね」
班長A 「明るくなりましたよね」
私      「・・・え?普通にしゃべってましたけど?」
先生  「・・・原因がわかったな・・・」

なにも臆することなくしゃべっていた私が原因だったようです。
・・・誰彼構わず、平然と話せてしまうんでね・・・私。(長所であり、短所。・・・というか、事実短所)


要するに、「構えずに話してみる事」が出来る人がいればいいんですが、そうそういないと思います。
・・・私の場合、『その能力』+『周囲が見えていない』という・・・好条件だったので・・・。
・・・一般に、『周囲が見えていない』は・・・好条件ではないけども・・・。
これは偶発の前例ですね。

・・・なので、「不登校」はしないほうがいいと思うよ。
辛かったら、誰かに相談してみるといいと思う。
クラスの人とか、先生とか。

私の場合はね。いっぱいいたからなぁ・・・相談相手。

用務員さんとか。
事務員さんとか。
校長先生とか。
教頭とか。(ときどき、タメ口だった・・・。その節はすみません。)

どうしても駄目なら・・・人以外の物とか。
私はウサギに愚痴をこぼしたことがあるね。
解決策とか教えてくれないけど、少しは気が楽になった。
馬鹿馬鹿しくなるんです、ちっぽけな悩みに。



ということで、結論。

「不登校はしないほうがいいよ。でも、時々は休めばいいと思う。休みを引きずらなければね」

・・・ごく当たり前の事のなっちゃったな・・・。

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